「いい子」を目指す代償
例えば子どもがあるミスをする。
同じミスを繰り返さないよう、親が叱る。
後日、別のミスをする。
同じミスを繰り返さないよう、親が叱る。
親は子どもの将来を案じ
ミスを出さない・ルールが守れるように教える。
しかし、子どもは同じ原因で現象が違うミスをする。
また親が叱る。
これが繰り返される。
すると子どもはミスをしないように
「やりたい・叶えたい」から「叱られない」へ意識の優先順位が移る。
「ミスをしない」という裏メッセージには、いい子=完全を求める親の期待が見え隠れする。
その子どもが親になれば
自分の経験をもとに、同じように叱る。
完全を求めすぎると
- 子どもの潜在的長所を埋没させ
- 関係者の(時間的・精神的)コストが莫大になり
- 子どもの次の世代にも伝搬する
完全を目指す代償は大きい。
被写体にピントを合わせると
周囲がぼやけて被写体が際立つ。
子どもの長所にピントを合わせると
短所がぼやけて子どもの長所が際立つ。
いい子=親から見たミスの無い、完全な子どもを目指すことで
潜在的な長所が消え、まるでピンボケのような写真になる。
完全な人間はいない。
不完全だからこそ、人は一生成長してゆく。
親・・・上司
子ども・・・部下
に置き換えても、全く同じことが言える。